His Story 4

◯京阪守口店時代ーpart2

そんなある日、担当ジャンルの配置換えがありました。私は大好きだった学習参考書の担当から、文芸書・ビジネス書の担当となったのです。気に入らない私は、ものすごくむくれて上司に反抗しましたが、今から考えると今のうちにいろんなジャンルを経験させて将来に備えようとしてくれていたのかもしれません。今も昔も知恵が足りず、子供でした。

しかし、やってみるとこれが面白かったのです。決まった時期に決まったものを売る学習参考書と違って、売れているものを見つけて、それを仕入れて売るというスタンスが新鮮でした。しかし作家の名前がよく分からず有栖川有栖を女性作家の棚に並べてお客様に指摘されるなど(今はジェンダーの関係で男性も女性も混ぜて並べるのが主流)最初はとても苦労しました。でも自分が仕入れたものが売れる面白さは何物にも変え難いものでした。

大きな平台を持つことになり、奥の方が取りにくくないように奥にいくほど嵩上げして積んだり、でも売れると低くなるのでしょっちゅう平台は積み直していました。でもこれが常に棚の変化を生んで、結果的には生きているような棚になったのです。都心の百貨店ではなく郊外型の百貨店なので来ているお客さんは基本的に同じです。変化のある棚は、お客さまからは常に目新しく感じられるのだと、今から考えるとわかります。

棚に並べている本も、ちょっと場所を動かすだけで、それまで売れなかったものも売れたりする。昔、何かの本で知った中国の故事「流水不腐」(流れる水は腐らない)が、なんとなく心に形作られてきたような感じでした。

当時売れていた本で印象に残っているのは瀬名秀明の『パラサイト・イブ』や鈴木光司の『リング』でした。今でも根強い人気の「貞子」が生まれた作品です。このような新しいテイストのホラー小説が人気でした。そして、サンマーク出版の『脳内革命』。今でも快進撃を続けるサンマーク出版の新しい原点であるような本であったと思います。

そのころの私はなんだか、高橋克彦さんの作品が大好きで、ほぼほぼ全部読んだ記憶があります。

1995年1月17日に阪神淡路大震災が発生しました。私は前日に出雲地方へ友達と旅行に行っており、帰ってきたその早朝に激しい揺れに襲われました。世界の終わりが来たのかとも思いました。私の住んでいた市域では、建物が倒壊したり、亡くなったりされた方がいました。テレビに釘つけになりましたが、何もできない無力さも感じてしまいました。京阪守口店は棚から本が落ちた程度の被害ですんだのですが、営業していても常に入ってくる神戸方面からの悲惨な状況に仕事どころではなかったのを覚えています。

翌年の1996年。出版市場における紙の本の売上はこの年がピークとなり、以降、衰退していくこととなります。

この頃の書店員の給料は、確かに基本給は低かったものの、残業代やボーナスも普通に出ており、一般社会人としてやっていけるだけは支給されていました。

この頃は、バブルの残り香のようなものが漂っていて、出口の見えない不況の影が日本を覆い始めた時代でした。

確かに本は今より売れていましたが、何よりもまだ活気がありました。当時、本の問屋さんである取次には、それぞれの地方支社に大きな倉庫があり、私たちはそこを店売(てんばい)と呼んでいました。ここを拠点として担当する地域の本屋に本を届けていたのです。そこには所狭しと本が置いてあり、みんながスリップ(本を売るときに抜く短冊)を片手に忙しく動き回っていました。

出版社はここに自社の商品の在庫を置いており、書店からの注文に迅速に対応できるようにしていたのです。店売に在庫があれば、なんと早ければ翌日には書店に届いていたのです。通常、書店には一日一便、日祝を除く毎日本が取次から届いていましたが、大型店や繁盛店であれば朝・夕の2便ありました。店売に在庫している商品を朝注文すると、その日の夕方に届くという、アマゾンもびっくりの対応の速さだったのです。(当時まだアマゾンはありませんでした。その後のネット書店の脅威は、想像もしていませんでした)しかし、在庫している商品は限られているため、取り寄せとなると今と変わらず、10日くらいかかっていたのです。

私は活気がある店売に行くのが好きでした。とてつもなく広い店売を隅々まで回って本を仕入れていたのです。書店員、出版社、取次の人たちがまるで自分の家のように広い店売の中を、お目当ての本まで最短ルートで進んで本を集めていくのです。

現在、取次は店売という地方倉庫は持たず、関東に一極集中して本の流通を管理しています。私は閉鎖された取次の関西支社を訪ねたことがありますが、昔の喧騒など想像もできないくらい寂れてしまい。本が一冊もないただただ広い空間が広ががっているだけでした。

私は京阪守口店には3年ぐらいお世話になりましたが、また辞令が降りて。梅田地下街店へ異動となりました。

続く

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