His Story 3

◯京阪守口店時代 part1

枚方近鉄店で1年ほど勤務したある日、また辞令が出て、同じ京阪沿線の京阪守口店へ異動となりました。

京阪守口店で社内結婚があったため、玉突き人事が発生したようです。店が変わると色々とシステムも変わります。中でも驚いたのが、前の店では店長の一存で使えなかった有給休暇が京阪守口店では自由に使えたのです。あってないものだと思っていた有休が使えたことがとても嬉しく、初めての有休で友達と淡路島へドライブ旅行に出かけました。

京阪守口店は京阪百貨店の中にあり、200坪ほどはあったと思います。引き続き学習参考書を担当しました。前のお店よりも広くなり、参考書も置いている量が変わりました。小中学の参考書や問題集はだいたい出版社別、シリーズ別に並べるので、綺麗に並べると棚が七色に輝きました。それが楽しくていつも棚整理をしていたのを覚えています。

前任者が「忙しいのは週に一度でいい」と言って、毎日届く本を溜め込んで週に1回で片付けるという自己ルールで仕事をしていたため、棚が荒れ放題でした。私は自分が気にいるように棚を並べ替えて、また宮井書店のkさんのサポートが引き続きあったので、アドバイスを忠実に棚に反映しました。前回も述べた通り、学習参考書は時期によって売れるものが決まっています。売れる時に売れるものをきちっと並べるだけで、売れ行きは以前よりぐんとあがりました。

このお店は出版社の営業さんがよく来られました。出版社の営業さんの仕事は自社の新刊や売れ筋商品の案内をして、書店員から注文をもらうことです。数多くの書店を回っている営業さんは、他店の売れ筋の情報などをたくさん持っています。時には書店員のプライベートなことまでよく知っている営業さんもいました。彼らからの情報もよく棚に反映させました。仕事の話だけではなく、いろんな雑談もしました。仕事の話そっちのけで「宇宙は偶然か必然か?」という話題で一緒に盛り上がった営業さんもいました。

この時期で印象に残っている営業さんは、語学書やビジネス書を出版している明日香出版社のYさんです。明るくてよく笑う楽しい女性の営業さんでした。とても勉強熱心で当時始まったばかりの、まだ認知度も低かったTOEIC試験を受けられて、「これからはこの英語試験がメジャーになります!」と自社のTOEICの参考書を含めたコーナーを作ることを提案してくださりました。実際に作ってみると動きがありました。最初はTOEICの参考書など30cmほどの棚だったのですが、その後、みるみる刊行点数が増えていったのです。

中でも、Yさんが「4月は英会話の本が売れますよ!フェアをしてみたら」というアドバイスを受けて素直にお店の入り口の平台で展開してみたら1ヶ月で100万近くも売れて、お店の売上に大きく貢献することができました。明日香出版社さんとはこの後も、良い関係で長いお付き合いとなるのでした。

営業担当者さんの目的は、自社の商品を置いてもらうことですが、今から思うと、若い書店員である私を育ててくれようとした気概もあったと思います。書店員の中には稀に出版社の営業さんに対して尊大な態度をとる人もいますが、全く私たちは対等で、ともにお客様に本を届ける同志であると、そんな気持ちがこの頃から芽生えてきたような気がするのは、仕事熱心で人柄も良い営業さん達の出会いに恵まれていたからかもしれないです。

この頃の私はなんでもやっていました。雑誌担当者が休みの日には、朝早く出社して雑誌を出していました。当時、アルバイトさんは1年勤めるといったん辞めて、1ヶ月後に再雇用するという変なルールがあったため、その1ヶ月の穴埋めのためにその人の代わりをよくしました。毎日夕方には返品を作って、朝のトラックに載せる準備をして、日曜日には直取引(問屋さんを通じないで直接お店と取引する出版社)の返品をまとめてやって……。朝から晩まで一日中働いていました。

といっても、当時の京阪百貨店は木曜日が定休日で10時〜19時の営業と、今では考えられない営業時間でした。それなのに仕事が終わると京阪電車で京都へ行き、音楽学校に通うというような生活をしていました。

この時期に、私ははじめてクルマを買いました。貯金が貯まってきたのと、ローンで返せる目処が立っていたので思い切って買いました。日産のマーチという小さなクルマです。どんくさい私はあちこちぶつけながらも、休みの日はあちこちドライブに行くようになりました。

part2へ続く

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