His Story 2

◯枚方近鉄店時代

現在、京阪本線枚方市駅前には蔦屋書店のT-SITEがあり、駅前の賑わいの中心地となっています。この場所は昔、近鉄百貨店枚方店がありました。古い建物でしたが、屋上に人が住んでいたのを覚えています。

旭屋書店枚方近鉄店はその中にあり、確か120坪ほどの店だったと思います。屋上の電気室を倉庫がわりに借りていて、その前で検品作業を行なっていると、出勤する屋上の住人と会うので、ご挨拶をしていました。この規模のお店ですが、正社員が8人もいました。取引先(本の問屋さん=取次)はトーハンさんで、担当者がついていました。勤務シフトは開店から閉店までで、毎日早出、残業をしていました。毎週木曜日が定休日でした。今では定休日を設けている百貨店は見かけませんね。

丸一日、お店にいたことになりますが、こんなものだと思い仕事をしていました。一応週休2日でしたが定休日の木曜日の他に水曜日が休みでした。

この時の店長は、厳しい人でした。「書店員は親の死に目にも合えないものだ」と言って決められた休み以外に休みを取ることはできませんでしたし、あるスタッフが体調不良で休ませてほしいと申し出ても、出勤するように伝えていました。お店を守るためには致し方ないことかもしれません。私も、仕事中に高熱が出て、何とか早退させてもらいましたが、次に出勤した時に店長に「ずる休みだろ」と言われました。何でも私が早く帰った日は、スタッフたちが飲み会をしていたそうです。私がそれに行ったのだと思い込んでいたみたいです。怒鳴られ、なじられることも頻繁でした。今だと、こんなことがあるとパワハラとかになるのかもしれないのでしょうが、そんな言葉はまだありませんでした。

スタッフたちは仲が良く、そんな店長をネタによく話していました。そんな中で私は書店員1年目をスタートさせたのです。当時の私はまだ、世の中の厳しさを全く知らない19歳で、後から聞いた話ですが、百貨店の他の売り場から「書籍売場に可愛い男の子が入ってきた」とにわかに人気を博していたそうです。今では想像もできません。知っていたら、もっと若さを謳歌できたのに……。

私が担当したのは学習参考書でした。勉強などろくにしたこともなかった私が学習参考書なんて……、と思いました。お店の人はレジのことや、基本的な勤務のことなどは教えてくれるのですが、肝心の棚の仕事は教えてくれません。私に棚の仕事を教えてくれたのは取次さん(本の問屋)や版元さん(出版社)の人でした。本来ならば、アベノ店である程度棚の仕事を覚えてから異動だったのに、急な異動だったので仕方なかったのかもしれません。それに、業界全体で人を育てる、という気風がまだ残っていたのかもしれません。中でも当時取引していた学習参考書専門卸しの宮井書店のKさんにはとてもお世話になりました。

学習参考書は時期によって、どんな商品を並べるか、どんな商品が売れるかが大体決まっています。それをよく教えてくれたのです。私は機械的だったかもしれませんがKさんの言う通りに棚を作り、商品を並べて販売していました。

何ヶ月か経つと、商品の流れや、棚の作り方が何となくわかってきました。学習参考書は商品知識を学びやすいため、初めて担当するにはちょうど良かったのかもしれません。段々と自分の中に仕事のリズムが出てきました。慣れてきたのだと思います。

当時、まだPOSシステムなどはありませんでした。商品管理は本に挟まっているスリップを使って行っていました。毎日スリップを回収して、担当者ごとに分けていました。この作業はお店全体で何が売れているのかを把握することができて、とても好きな作業でした。今では、本にスリップが挟まっていることは少なくなりましたが、当時はこのスリップがとても重要でした。

回収したスリップを半分にちぎって、表側は発注用、裏側は報奨金用(販売した冊数に応じて、出版社から支払われるお金)に分けます。私たち書店員は自分の担当のスリップ(表側)の束を持って棚に向かい、注文する本の冊数を決めます。注文する本のスリップに番線(取次における書店の区分番号)と呼ばれるハンコを押して、取次担当者に束ごと渡します。後日、そのスリップをもとに本が入荷します。

お客様から本の場所を聞かれると、頭の中の情報だけで本を探しに行っていました。書籍を検索するコンピュータはありましたが、当然インターネットなどにつながっているわけではないので、非常に精度の悪いものでした。でも、120坪くらいのお店で、朝から夜まで毎日働いていて、入荷から返品までの全ての工程に携わっていたので、大体の商品の出入りはわかっていました。それでも探しきれない本はありましたが、まだこの頃は担当者が何でも知っていたので、聞けばわかりました。担当者が休みだと、聞けないのですが、普段から自分の棚がどのように並んでいるのかを共有できていたので、何とか探し当てることができたように思えます。

店長ですが、後から聞いたところによると実は随分と私のことを買っていたそうです。この頃はまだ鉄道会社が時折ストを行なっていました。ストになると電車が止まるので出勤できなくなるわけですが、私は前日にストの情報がニュースで流れると、動いているJR線やバスのルートを調べて、かなり早起きして勤務時間に間に合うように出勤していました。スタッフが来れなくなる中、お店を開けることができていたのです。この姿を見て、真面目で店思いの男だと思われていたようです。私はただ怒られたくないからやっていただけなのですが……。

この頃の印象に残っているベストセラーは、何といっても宮沢りえさんの写真集『Santa Fe』です。撮影は篠山紀信さんで、人気絶頂だった若手女優のヘアヌード写真集ということで、社会現象になりました。中身がどうしても気になりましたが、コソコソ買って見るのもいかがなものかと思っていたところ、スタッフが買っくれたので、それをみんなで見た覚えがあります。

こうして、私の書店員1年目は過ぎていくのでした。(続く)

前回のブログはこちら https://tukuyomi.info/his-story-1/

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