His Story 1

私は、どうも意見をしたり、批判をしたり、ということが苦手です。業界の人との集まりでそういう話になった時、私はどうしていいのかわからなくなり、黙り込んでしまうか、当たり障りのないことを言って、やり過ごしてしまいます。私の悪い癖です。本当に必要なら、臆せずできるものなのですが。

これからも私がする発信の内容は、そのようなことはあまりないかと思います。

でも、意見でも批判でも、出すだけ出して、そこから強みを見つけて建設的な話や、やれることを模索するのは好きです。そのために意見や批判であれば私は安心してその場にいることができます。

30年以上、本の販売に携わってきた、一書店員として、どんな人生を歩んできたのか。なんだか記しておきたくなりました。とりとめなくお話ししていきますが、しばらくの間、お付き合いいただけますでしょうか。

◯書店員として働き始める

私が書店員として歩み出したのは1991年のこと、当時19歳でした。

私が通っていた高校は、内部試験を通れば自動的に付属している大学へ上がれたのですが、諸事情で大学進学を諦め、建築の専門学校へ進学しました。特に建築関連の仕事に就きたかった訳ではなかったのですが、建築家である叔父の推薦でなんとなく入学したのでした。

しかし、私は数字が苦手で、いつも試験では赤点ギリギリでした。そんな私が理系の授業についていけるわけもなく、描く図面もいい加減なもので、すぐに音を上げてしまい半年ほどで専門学校を辞めてしまいました。

その後、しばらくはマクドナルドでフリーターとして働いていましたが、そんな私を家族は咎めもせず、特に将来のことなど考えることもなく、日々を過ごしていました。マクドナルドではオープンと呼ばれる朝の開店準備をするシフトで勤務していました。店長は厳しい人でしたが、真面目に毎日勤務する私をそれなりに評価してくれていて、正社員のお話も聞こえるようになりました。

ある日、父が新聞の切り抜きを持ってきました。「匡樹、本好きやろ、これ受けてみたら」といって見せてくれたのが、当時、大阪で一番の書店だった旭屋書店の正社員の小さな求人広告だったのです。

私は確かに小さな頃から本が好きでした。本の虫、というほど好きだったわけではありませんが、よく読んでいた方だと思います。小学生低学年の頃は児童文学を読んでいたのを覚えています。『うさんごろとおばけ』に夢中で、主人公のうさんごろが唱える呪文は今でも誦じることができます。『おおきな一年生とちいさな二年生』という今でも読み継がれている作品は、主人公がホタルブクロを抱えて現れるシーンがなぜか今でも印象に残っています。もっと文学作品を読んでいればと思いますが、あまり興味がありませんでした。

高学年になると、もともと好きだった宇宙の本を中心に読むようになりました。難しい本は読めないので、ビジュアル的なものをよく読みました。叔母が当時刊行の始まった小学館『学習漫画日本の歴史』シリーズ(当時は全20巻)を毎月1冊ずつ買ってくれたのですが、それがとても楽しみで、私はすっかり歴史好きの子どもになってしまいました。歴史への興味は止まることはなく、大人が読むような本を読み漁り、興味を満たしていました。叔母にお願いして、いろいろな史跡をつれて回ってもらい、本に書かれている場所を実際に訪れることがとても好きでした。

この頃は、まだ近所に街の本屋さんが数多くありましたが、私の興味を満たしてくれる書店ではなかったので、大阪市内に出た時に旭屋書店など大きな書店に行くのはとても楽しみでした。

父が持ってきたのは、自分もよく知っている本屋さんの社員募集広告だったのです。問い合わせをすると、選考試験に来るように言われました。父が偉大だと思ったのは、「匡樹、試験だけやから、私服で行きや、受かるかどうかもわからんねんから」と言われ、素直な私はジーパン姿で試験を受けに行きました。

当時の旭屋書店の事務所は、梅田曽根崎にある本店の近くに立つ、古いビル内に入居していました。事務所の前には大きな防火扉のような鉄の扉がありました。その重い扉を開ける時、なぜかここで自分の人生が変わってしまうような怖い感覚があったことを覚えています。

最初に対応してくれた人は、私服で来た私を下から上まで眺めた後、部屋に案内してくれましたが、そこにはスーツを纏った希望者が30人くらいいました。私服の私は明らかに浮いていました。

浮いている自分が恥ずかしいと感じることはなく、試験も特に手応えがあったわけでもなく、どうなるのかわかりませんでしたが、一次面接に来るように連絡がありました。さすがに面接には私もスーツを着て臨みました。そして進んだ二次面接は役員面接でした。質問で、「旭屋書店は本店以外にどこを知っていますか?」と聞かれ、咄嗟に「グランドビルの1階に小さいのがありますよね」と言ったら、「あれは紀伊國屋さんやねんけどなぁ」と苦笑されました。私はその時「落ちたな」と思ったのですが、後日、採用の連絡がありました。

指定された日に事務所に伺い、諸々の手続きをしているときに、今回採用されたのは3人とのこと。なぜ私が採用されたのかはわかりませんが、私の書店員としても人生が始まりました。

最初に配属されたお店はアベノ店でした。阿倍野は大阪の天王寺周辺の地名ですが、今でこそアベノハルカスなどが建ち、きれいになっていますが、当時の阿倍野はあまり治安のいいところではありませんでした。旭屋書店アベノ店もとても古い作りのお店でした。500坪くらいでしょうか、よく覚えていません。エスカレーターを登った2階にあり、向かいにはユーゴ書店さんがありました。今はこのお店はなく、跡地にはキューズモールが建っています。

私はそこで実用書の担当として働き始めました。書店員の基礎を学ぶ予定でしたが、この店には1ヶ月ほどしかいませんでした。書店チェーンでは異動が多いのですが、本来異動する予定だった人が辞めてしまい。私が異動することになりました。

(続く)

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