His Story 7
ロサンゼルス店時代 1999-2002 part1
アメリカ行きを両親に告げると、父は「おー行ってこい!行ってこい!」と喜んでくれました。戦争を経験していながらも、アメリカに憧れて育った世代なので嬉しかったようです。母はなんの相談もなく決めたことが気に入らなかったようですが、相談するという選択肢は自分の中にはありませんでした。身勝手な息子ですいません。
出発したのは1999年5月15日。引越しの荷物はすでにロサンゼルスへ送っていましたが、引越し屋さんがびっくりするくらいの荷物の少なさで、大きな荷物と言ったら、とりあえず寝る用の布団一式くらいでした。あとは、子どもの頃から大事にしているボロボロの犬と猿とカモのぬいぐるみがお供です。まるでどこかに鬼退治に行くような出立ちでした。
五月晴れの関西国際空港に会社の人と友達と両親が見送りに来てくれました。前日だったかとても寂しくなって、友達の前でわんわん泣いてしまいましたが、もうケロッとして、みなさんに手を振って出発ゲートをくぐりました。
ロサンゼルス国際空港に到着すると、店長が迎えに来てくれるはずですが、お互い顔は知りません。「旭屋書店のブックカバーをかけた本を持って到着ロビーで待ってて」と言われたので、そのとおりに本を持ちながらボーっ、っと立っていました。今だったらスマホで連絡を取り合うことが可能なのでしょうが、その頃は、ようやく今でいうガラケーが普及し始めた時で、当然海を跨いで使うことなどできませんでした。
それでも、こんなアナログな待ち合わせ方法でも、ちゃんと店長と会うことができて、勤務先である旭屋書店ロサンゼルス店に車で向かいました。旭屋書店ロサンゼルス店はダウンタウンの外れのリトル・トーキョーの隅に位置していて、ヤオハンという日本食スーパーの入っているショッピングモールの中にあります。300坪ほどの店でCDも売っています。日本の書店との違いといえば、ドルで販売していること以外、何もありません。
実は、私はこの店に来るのは初めてではありません。前年に初めて海外旅行を経験し、その時の行き先がロサンゼルスだったのです。そして、この店にも訪れていました。前年にきた時は最終日にホテルの窓からダウンタウンの夜景を見ながら、「もうこの景色を2度と見ることはないんだろうなぁ」と感傷に浸っていたのですが、ところがどっこい、この後、毎日見るようになるのです。
スタッフにご挨拶をさせていただいたのですが、日本人のスタッフばかりだったので日本語で会話するので安心しました。しかし、日本人だと思って仕事をしていると甘い甘い。外見は日本人だけど、考え方はまるっきりのアメリカ人。大体が永住権をお持ちの日本人なのですが、異国で生き抜くとは、そんな生やさしいものではありません。皆さん強い強い。そのことをこの後、嫌というほど痛感するのです。
アメリカで生活するためには、色々と手続きが必要です。もちろん一人ではできないのでお店の人がついてきてくれました。1番最初にするのが社会保障番号(ソーシャルセキュリティ)の取得。これにクレジットカードの履歴や納税などが記録されるようです。このクレジットカードを作るのも一苦労でした。そして運転免許の取得。ロサンゼルスは車社会なのでこれがないと生きていけません。一夜漬けで試験問題を勉強して試験に臨みました。仮免とかのシステムはなく、いきなり教官を横に乗せて実技試験。でもなんとか合格して会社が支給する車に乗れるようになりました。最初に一人で運転した時はすごく怖かったのを覚えています。
住むところは何軒かアパートを回って、いいところを見つけました。日本でいう1LDK。窓からはダウンタウンのビル群が見えてハリウッドサインも遠くに見ることができました。ロサンゼルス国際空港に降りる飛行機が遠くに見える山並みに沿うように列をなして飛んでいるのが見えるとても眺めのいい部屋でした。
当時のアメリカは空前の日本ブーム!クールジャパンという言葉が言われ始めた頃です。アメリカに住む日本人に、日本の本を販売するのが基本スタンスですが、日本関連の本や、漫画、雑誌を買いに、現地のアメリカ人もやってきました。
日本からの本はだいたい、1ヶ月遅れで船便でやってきます。この荷物が週に1回、月曜日に届きます。それとは別に航空便が週に2回、週刊誌などが入ってきます。お値段は船便が日本での価格の約2倍。航空便は約3倍でした。そして、基本的に返品はできません。
日本の書籍流通の大きな特徴のひとつに、返品ができることが挙げられます。1000円で仕入れた本は1000円で返せるのです。この仕組みについての課題等についてはここでは触れませんが、海外店では基本的にこの仕組みが使えません。1000円で仕入れた本は利益を乗せて1000円以上で売らなければならないのです。アメリカですから当然ドルで販売します。運搬費や人件費など諸々諸経費などに利益を乗せた独自の円ドル換算レート表を使って販売します。このレート表は為替の変動具合を見て変更します。
最初の半年は友達が誰もおらず、仕事と家の往復だけでとても寂しい思いをしていました。お付き合いしていた方とは別れることになったのですが、未練がましくメールをしたりして、冷たい返事にいちいち傷ついてどーしようもなく女々しい男でした。それでも基本的に毎日晴れているロサンゼルスの青い空を見ていると、そんなことはだんだんどうでも良くなってきました。
ある日、ポストに市の広報誌のようなものが入っており、そこには市民講座のようなものが載っていました。そこでテニス教室を見つけて、思いきって申し込んでみました。週に1回、半年の講座で日本円で3000円くらいととても安いです。
ドキドキしながら初日のレッスンに行くと、言葉はわからないけど、コーチのやっている通り、みんながやっている通りにやるとなんとかついていくことができました。みんな私にはゆっくり話しかけてきてくれました。そのうちコーチもどこで学んだのか「マサキ・ジョウズ!」と言ってくれるようになりました。
職場の同僚もたまに自宅に招いてくれたりしました。今ではSNSなどが発達していて、現地に住む日本人同士もそれで繋がることができますが、そんなものは当時ありません。それでも偶然、大阪出身で同じ市域に住んでいたYと出会い、仲良くなりました。社交的なYはすぐに人脈を広げていって、同時に私の人脈もどんどん広がっていったのです。
Yとはいつも週末にお互いの家でご飯を作る、という、お前ら付き合ってるのか?と言われるんじゃないかと思うくらい頻繁に会い、いろんな所に行きました。そのうち日本にいる奥さんもロサンゼルスにやってきて、子どもも生まれました。現在はお互い大阪に帰ってきていますが、いまだに交流は続いています。
そうやって、だんだんとアメリカの社会に馴染んでいくのでした。
続く
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