His Story 6

大丸梅田店時代 1998~1999

梅田地下街店を1年ほど勤めて、次は大丸梅田店へ異動となりました。このお店は大丸百貨店梅田店の12階にある80坪ほどの書店だったと記憶してます。旭屋書店の看板は出さず、百貨店内の書籍売り場という位置付けでした。

私はここでも文庫・新書の担当でした。しかし、小さな書店なので結局何でもやっていました。しかしこの頃にだんだんと、このままでいいのかなぁ、などと思うようになりました。高層の建物なので、眼下の梅田の景色を見ながら、ぼーっと、そんなことを考えていたように思います。

しかし、このお店にはとても面白い仕事があったのです。当時大丸百貨店には「大丸ミュージアム」というものが15階にあり、美術企画展を中心としたイベントを途切れることなく展開していました。そこのミュージアムショップを旭屋書店が一手に引き受けていたのです。

企画展の度に、本だけでなく、グッズも仕入れていました。ビッグネームの作家さんの時にはグッズの種類も多く、小さなミュージアムショップは大変な賑わいになったものです。

今まで本しか扱っていなかったので、様々なグッズを扱えたことはとても面白かったのです。仕入れは主に店長がやっていたのですが、今思えばもっと積極的に仕入れや掛け率交渉などをやっていればよかったと思いました。

中でもミッフィー展を開催した時には、小さなミュージアムショップでは場所が足りないので、大丸百貨店の催事場で文具、ぬいぐるみなどの様々なグッズや絵本を販売しました。すごい数のお客さんが来場され書店のスタッフだけでは対応できないので、百貨店全体で人を出してもらって対応しました。あのにぎわいは今でも忘れられないです。本は、どんな商品とも相性がいいと感じました。私が今、本に限らずグッズを仕入れて販売するのはここに原点があったかもしれません。

この頃、本部から急に海外出張を命ぜられました。場所は香港です。当時、旭屋書店は海外に支店を持っており、香港に2店舗、ロンドンに1店舗、アメリカに6店舗展開していました。香港へは私だけではなく年の近い男性社員4人で向かいました。確かお店の閉店作業のようなことだったと思いますが、よく覚えていません。

しかし、私は途中で体調を崩してしまい、ホテルで横になっている日があったことを覚えています。それに私はどうも香港とはあまり相性がよくないようでした。たしかに食べ物は美味しいし、面白いところではあったのですが…。しかし、この香港出張は後から聞くと違うミッションがあったのです。

この頃にお付き合いしていた女性がいました。彼女は帰国子女で、よく外国の話をしてくれました。英語も堪能でした。その頃、私は日本から出たこともなく(香港出張の前に初めて友達とロサンゼルスへ海外旅行をしました)元来の日本史好きから、日本にいいところはいっぱいあるからわざわざ海外なんて…。と思っていましたし、海外へはぼんやりと「エジプトのピラミッドを見てみたいなぁ」とか「ルーブル美術館にある大好きな絵の本物を見てみたいなぁ」くらいに思っていたくらいでした。しかし彼女の影響で、「いっぺん海外で暮らしてみたい!」と強く願うようになりました。

そんな2月のある日、店長からまた異動を告げられました。

「野坂くん、異動なんだけど…」

「そうなんですね、次はどこですか?」

「ロサンゼルス」

「……」

「海外転勤になるので、強制ではない。1週間くらいよく考えてくれたらいい。行ったら最低4年は帰ってこれないから……」

「わかりました。行きます」

「え?考えなくていいの?」

「いいです。行きます。」

「わかった、じゃあ本部に伝えとく」

こうして、私の次の勤務先はアメリカ合衆国となったのです。

私は27歳でした。



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