His Story 8

ロサンゼルス店時代 1999-2002 part2

私が住んでいた地域は当時、多くの日系企業が米国法人の本社機能を置いており、日本人学校や日本料理の飲食店、日系スーパーなどもたくさんありました。必然的に駐在員をはじめ、たくさんの日本人が住んでいました。どうかすると英語を使わなくても生活できるような環境だったため、一応4年とは言われていましたが、日本に帰った時に全然英語が話せないと何かかっこ悪いな、と思って語学学校に通いはじめました。

そこは、現地の人が先生をやってくれるアットホームな感じの語学学校でした。特に実践的に使える英語をマンツーマンで教えてくれることが特徴でした。先生といっても友達みたいな感じで、一緒にレストランへ行って注文する練習をしたり、楽器店へ行ってギターを買ってそのまま音楽スタジオへ一緒に行ったり。当時、日本ではまだ珍しかったスターバックスで実際にカスタマイズして注文したり…‥。ラスベガスでの遊び方を実践的に指導してくれたことはとても役立ちました。

なかでもA先生は当時まだ学生で、弟みたいな感じでしたが、この先生から悪い言葉をたくさん学びました。悪い言葉は知っておくと使わないし、言われた時にもヘラヘラ笑って対応しないですみます。英語の勉強はTOEICを定期的に受けるようにして、スコアアップを目標に勉強していました。

そんなある日、私は一時不停止で違反切符を切られました。壁に手をつけさせられて細くボディチェックをされるという、映画でよく見るアレを体験をしました。そしてもらった切符を見ると「on」の後に日付がありました。ああ、きっとこの日までに裁判所で罰金払うんだな、と思って、休みの日に裁判所へ行きました。(カリフォルニアでは交通違反をすると裁判所へ行かねばならず、不服ならその場で異議申し立てができる。めんどくさいので大概の人は罰金を払って終わらせる)

裁判所で係の人にチケットを渡すと、すごい剣幕で怒ってくる。もちろん英語で。全くなんで怒られているのか、何をいっているのかさっぱりわからなくて戸惑っていると、私のことを中国人だと思ったおばさんが中国語で話しかけて助けにきてくれたのですが、余計に混乱してしまい、私はチケットを奪い返して逃げるように裁判所から出て行きました。

後からお店のスタッフに聞くと、これはその日付の日に行って、罰金を払わないと行けなものだと判明。前置詞onの使い方を、身をもって学ぶのでした‥‥。

日本にいる海外担当の部長からは、現地の大学に行きたいのなら行ってもいい、と言われていたのですが、そんな英語力はなかったので最初から諦めていましたが、今から考えると勿体無いことをしたと思いました。飛び込んでみればよかったのに、と少し後悔しています。

ある日、現地在住の日本人に向けたラジオ放送の会社から連絡があり、週間の本の売上ランキングが欲しい、と言われ、すぐにリストを送ったところ、返事があって「番組に出てください」とのことで番組に出演しました。それは女子プロレスラーの草分け的存在、マッハ文朱さんが司会をする毎週土曜日放送の番組でした。

その番組でマッハさんに気に入られた私は、毎週出演して本の紹介をすることになったのです。2時間番組の30分を使ってやるこのコーナーは、マッハさんと私の掛け合いが好評で、私が帰国してからも続いていました。

このコーナーで紹介する本はカリフォルニアの支店で売れるようになりました。他にも現地日本人向けのフリーペーパーにも本の紹介を何誌か持っており、狭い日本人コミュニティでちょっとした売れっ子になりました。狭いコミュニティで「本のことなら野坂さん」というスタンスが成り立つと、色々問い合わせや引き合いがあって、コミュニティの中で名前を売る、ということの走りをやっていたんだな、と今になって思います。

この頃は、本の紹介のために毎週、山のように本を読んでいました。遅読家の私は、到底追いつくはずもないのですが、とりあえず本について30分話して、リスナーが納得して本を買ってく入れればいい、と割り切って、斜め読みを習得したのです。

ある日、スタッフに「野坂さんに会いたい」という人が来ている。と連絡を受けてレジに行くと、年配の女性の方がおられ「野坂さんですか?想像していた通りの人ですね。あなたのラジオの本の紹介とてもいいです!」と伝えてくださりました。この方は後ほどお店に手紙を送ってくださって、その中には私が紹介した本の感想と、「野坂さんは、私が昔好きだった海軍の将校さんにそっくり」と書いてありました。生まれて初めてもらったファンレターでした。

アメリカ人からはよく、「日本の携帯電話ってすごいんでしょ?メールが打てたり、写真や動画が撮れるんでしょ?と言われましたが、私が日本を出た頃には、携帯電話にそんな機能はなかったので、そうなの?って感じでした。アメリカの携帯は通話くらいしかできなかったので、そんなに日本の携帯と変わらないと思っていました。

しかし、一時帰国した時に電車に乗ると、みんな下を向いて何かを持っているので、なんだろう?と思うと、それが日本の携帯電話だったのです!今で言うガラケーっと言うやつです。確かに友達に見せてもらうと、メールは打てるし、写真も撮れる。imodeとか言うwebにも繋げられると知ってとてもびっくりしました。

iphoneが出る前、日本の携帯電話は世界最先端のものでした!まだこの頃のアメリカの家電量販店には日本製の電化製品が半分以上並んでいました。しかし、だんだんと韓国製が目立ち始めていました。それまでアメリカを席巻していた日本製品は少しずつ力を失いつつありました。

続く


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