His Story 9

ロサンゼルス店時代 1999-2002 part3

旭屋書店ロサンゼルス店はダウンタウンのはずれ、リトルトーキョーの端っこにありました。この近辺はあまり治安の良いところではありません。そんなこともあってか、よく万引き犯が現れたのです。日本のようにコソコソ万引きをするのは普通の家庭の若者で、彼らは白昼堂々と盗んでいる人も多かったです。

ある日、怪しいアフリカ系の男性がいたので影から見張っていると、ジャケットの内側に本を隠し入れるところを見つけました。

店を出たところで声をかけ、しらばっくれる男に向かい、簡単な単語を並べて「見た」「返せ」と迫ると、返してくれました。そのまま追い返したのですが、後からこっぴどく現地スタッフに怒られました。「野坂さん!注意してください。あとで仕返しとかあって、命をなくすこともあるんですよ!」どうも、あまりしつこく追い回さない方がいいみたいです。

またある日、アジア系の女の子がCDを10枚くらいカバンに隠して、持ち出そうとしたところを店外で声をかけました。すると逃げたのですぐ捕まえたのですが、腕を噛みつかれました。しかしなんとか宥めて事務所に連れて行って、家族に迎えにきてもらったのですが、後からまた現地スタッフに。「野坂さん!いい加減してください。彼女が伝染病のキャリアだったらどうするんですか!」と怒られてしまいました‥‥。

なんだか若かったのか、よく挑んで行ったなぁ、とか今になって思います。無事に帰って来れてよかったです。万引きは捕まえるより、防止する方が得策であると学んだのでした。これはきっと世界共通です。

旭屋書店は他にもシカゴとニューヨークに支店がありました。ある日、ニューヨーク店に初めて応援に行きました。ニューヨーク店の店長が1日休みをくれたので、日本人観光者向けのツアーに参加しました。しかし、そのツアーは見事に新婚旅行カップルばかりで身の置き所がありませんでした。途中で嫌になった私は。自由の女神像のところでツアーを途中でキャンセルして、一人行動にしました。最初から、そうすればよかった…

私はニューヨークへ行ったら、絶対メトロポリタン美術館へ行こうと、ずっと思っていました。大好きな絵がそこにあるのです。地下鉄をドキドキしながら乗り継いで、なんとかメトロポリタン美術館にたどり着いて、広い館内を歩き回って、お目当ての絵と対面しました。初めて見る本物に、しばらくボーっ、と立ち尽くしていると、係の人に「大丈夫?」と声をかけられました。どこへ行っても心配されてしまいます。

この頃、日本では出版市場が急速にシュリンクし始めており、アメリカ国内でも以前ほど売れなくなってきました。私は定期購読してくれる人を増やそうと、日系のレストランや塾、理髪店などに営業に行こうとしました。しかし、書店は基本「待ち」の商売です。営業などやったことはありません。最初は軽い気持ちだったのが、営業先の扉の前に立つと一歩が踏み出せません。結局、1件の成果も出せずに終えてしまうのです。

私は早々に営業を諦めてしまいました。なんで、ちょっとしくじったくらいで諦めたのでしょうか。元々軽い気持ちだったからでしょうか。この頃から、自分の弱さがだんだんと表面化してきたように思います。営業が自分に向いていないのなら、何か自分の強みを活かすことはできなかったのか‥‥。そんな強みが何かさえもわかっていないのでした。

日本の部長から売上の低迷をどうにかするように言われましたが、「棚のレイアウトを変えよう!」と思って、頑張ってレイアウトを変えました。しかし部長からは「お前のやっていることは小手先だけだ」と言われました。その言葉通り、売上は上がりませんでした。

ある日、日本に来た部長に「野坂元気か?」と聞かれ、「元気です」と答えると「売上悪いのに元気とはな」と吐き捨てられました。目の前の仕事をこなすことに精一杯だったので、「もっと売上のことを考えろ、それは仕事じゃない」と言われ、どうしていいか分からずにトイレに篭ったりしたこともありました。

そして、部長に苦手意識を持った私は、だんだんと部長を避けるようになりました。といっても部長は普段は日本にいるので接触することはなかったのですが‥‥。

しかし、今になって考えると、あの当時、会社の中でまともなビジネスセンスを持っていたのは部長だけだったかもしれません。私はもっと部長から学ぶということをなぜしな買ったんだろうと思います。

日本とアメリカの距離が、私に甘い気持ちを起こさせていたのかもしれません。

そして、あの大事件が起こるのです。

続く


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