His Story 26
さて、卒論です。
私はテーマをすでに決めていました。「北摂の隠れキリシタン」です。
私は、ずっと隠れキリシタンに興味がありました。230年もの江戸幕府による禁教令の
中、信仰を守り通せた力の源を知りたかったのです。
隠れキリシタンというと、九州地方が有名ですが、実は大阪の北の方、北摂と呼ばれる地域の山間部に隠れキリシタンの里があります。具体的には茨木市千提寺周辺ですが、大正期に民家の蔵からキリシタン遺物が発見されました。
皆さんもこの絵を教科書などでご覧になったことがあるでしょう。

有名なこの絵は、茨木市山間部で発見されたのです。この絵の他に、貴重なキリシタン遺物がたくさん、秘匿されていたのです。いうまでもなく、この村が、隠れキリシタンの里であったことを証明するものでした。この発見にまつわる物語は、とても興味深いものであり、私たちを魅了してやみません。
ぜひ、これをテーマに卒論に取り組みたいことを、担当の教授に伝えると、「隠れキリシタンは難しい、だって隠れていたから史料がない」と言われましたが、諦めることができずに、途中でテーマを変えることも視野に入れながら準備を始めました。
すでに単位をほとんど取得していたので、卒論に時間をかけることができそうでした。
まずは史料集めに奔走です。大学でのレポート作成を通じて、史料集めの方法はわかるようになっていました。それに私は本屋に勤めている特性上、史料などが探しやすいです。もちろん、図書館も多用しました。地元の図書館にない史料は大阪府公立図書館へいき探しました。地元の大学の図書館も利用したりもしました。探している史料が京都の山奥にある日本文化研究所にあることを突き詰めた私は閲覧申し込みをして、バスを乗り継いで向かいました。とても素敵な図書館で、それだけで気持ちが高揚します。
しかし、集めた史料はすでに研究されていたものばかりだったので、それらをまとめるだけでは卒論になりません。まだ研究されていない分野を探さないといけません。
見当もつかないまま、私は隠れキリシタンの里へと友達と向かいました。隠れキリシタンの里は茨木市の山間部、千提寺地区・下音羽地区にあります。この辺りは織豊期にキリシタン大名である高山右近によって統治され、積極的にキリスト教が布教されました。なので、隠れキリシタンの子孫が住んでいても不思議ではないのです。
茨木市立キリシタン遺物資料館は千提寺地区の、ザビエルの肖像画が発見された民家の前に建っています。とても小さな資料館で数々のキリシタン遺物が展示されています。私はこの場所が大好きで何度も車で訪れました。最初に行き始めた頃は、段々畑が綺麗な山間の集落でしたが、今は新名神高速道路が通り、千提寺PAでできて様子が一変しました。
資料館に入り、事務室の二人の女性に卒論作成のためにお話を聞きたいことを伝えると、丁寧に対応してくださいました。そのお二人こそ、隠れキリシタンのご子孫だったのです。それ以降、私は最低でも月に一回、バスを乗り継いで千提寺へ通い、お二人にお話を聞くことになりました。
進捗状況をお二人に定期的に説明していたのですが、これが卒論作成の良いペース作りになり、すっかりお二人と仲良くなりました。
通っているうちにお二人が懇意にしているI先生と繋げていただきました。その先生は私に貴重な資料を貸してくださり、それを読み込んでいるうちに、ふと、千提寺地区と丹波のとある地区を結びつける線が見えてきたのです。具体的にはキリシタンとはあまり関係のない人的交流なのですが、それを糸口に、半ば無理やり繋げて両地区の隠れキリシタンの交流の仮説を検証してみることにしたのです。
結果的には、証拠らしいものは見つかりませんでしたが、調査の途中で失われたと思われていた史料が見つかったり、隠れキリシタンの、自分らしい考察ができて有意義なものになりました。
そして、何とかして卒論を書き上げることができ、教授からいただいた成績はSでした。足で稼いだことを評価していただいたようです。
こうして、4年頑張って続けた大学を無事に卒業することができました。
大学卒業なんて、そんな威張れるものじゃないな。と思っていましたが、予想以上にみんな拍手をくださり、ジュンク堂のスタッフは、なんと私のためにお祝いの飲み会を開いてくださいました。
皆さんの助力もあって、ひとつ、やり遂げることができたのです。
続く
以前のブログはこちら→https://tukuyomi.info/blog/

