His Story 21

His Story 21

この頃、お休みをいただいて、ポルトガルへ旅行へ行きました。

私が、旭屋書店を辞めてしばらくの間、職業訓練の一環で、児童英語インストラクターの講座に通っていたことを以前のブログで書きましたが、その時のクラスメートがポルトガル人とお付き合いしていました。

そして、そのポルトガル人Dは、日本に遊びにきてそのまま入籍し、大阪に住み着いてしまったのです。

歴史好きのDは日本の歴史に興味津々で、私もなんとか頑張って英語で説明しているうちにDと二人でいろんな日本の史跡を巡るようになり、春と秋には手頃な山に登って、温泉に浸かって帰る、ということを繰り返していました。

そして、二人がDの母国ポルトガルで結婚式を挙げるとのことを1年前に知らされ、招待するので、旅費を貯めておいて欲しいと言われて、せっせと飛行機代を積み立てていました。

仕事は2週間の長期休暇を申請し、これを機会にヨーロッパで行きたいところに行こうと計画を立てました。

3人で関西空港で落ち合い、いざポルトガルへ向かいました。直行便がないため、オランダのスキポール空港で乗り継ぎです。乗り継ぎに時間があったので、アムステルダムを少しだけ観光しました。なんだか性におおらかな街で、(いったところがそうだっただけ?)コアラ型の避妊具をゲラゲラ笑いながら、日本の友人のお土産に買いました。

リスボンには真夜中に到着しました。他の日本からの友人とも無事に空港で会うことができました。真夜中にも関わらずDの家族や友人が車で迎えにきてくれて、ポルトガルを一路南下して、Dの故郷へ向かいました。

Dの故郷はポルトガル南端の都市ファーロのさらに南にある海沿いの街です。(町の名前は忘れた)とても風光明媚な美しい街でした。東洋人など私たち以外全くいませんでした。どこへ行っても絵になる街並みですっかり気に入ってしまいました。

Dの実家にホームステイさせてもらいましたが、何かポルトガルと日本って少し生活環境が似ています。大家族で住むこと(今は違うかもですが)や、食生活がお米と魚が中心であることなど。ほとんど外食せずに、Dのお家でご飯を食べていました。中でもアローシュ・デ・ポロボだったかな、タコご飯ですがこれがめっちゃ美味しかったです。

ピリピリという自家製の香辛料を何にでもかけるのですが、これが家庭によって味が違ういます。Dのお家のピリピリはとても気に入ったので、それ以降、Dがポルトガルへ里帰りする時にはお土産に頼んでいました。

Dのお父さんは大勢の日本人の名前がわからず「おい、ジャポネ(日本人)」と呼んでいましたが、私だけは「マサキ、マサキ」と呼んでくれました。ポルトガルではお父ちゃんのことをパイと呼びます。呼びかける時に「オ」と「ウ」の中間のような発音をするので続けると「おっぱい」と聞こえます。それがおかしくてお父ちゃんのことを「おっぱい、おっぱい」と呼んでゲラゲラ笑っていました。

結婚式もゆるい感じで進んでいましたが、新婦の友人たちがプレゼントとして日本から「Yes,No枕(もちろんポルトガル語版)」を持って行ったところ、その意味を知ってポルトガルの人たちが大ウケしていました。

6日ほど滞在して、日本の友人と一緒にバスでリスボンへ行き、1日観光した後、私は一人でイタリアへ向かいました。ローマから列車に乗って、アッシジを目指します。アッシジは聖フランチェスコが眠る祈りの街です。前から一度訪れてみたいと思っていました。

この街を巡るだけで、聖フランチェスコの生涯を辿ることができます。中でも、遺骸がある大聖堂の奥深くは大勢の信者が静かに祈りを捧げ、長く傅いています。私も気がつけば1時間くらいその場でぼーっとしていました。

アッシジで一泊して、また列車に乗ってローマへ戻りました。朝早くからバチカンのサン・ピエトロ大寺院に行きましたが、なんだか人がたくさんいて、警備が物々しいです。何事かと良く見ると、当時の教皇・ベネディクト13世が広場で法話をしているではありませんか。ラッキーにも教皇のお出ましに立ち会うことができました。

ローマを一巡りして、適当なレストランで夕ご飯を食べたのですが、そこで食べたカルボナーラの美味しかったこと!翌日は最後の目的地のイギリスへ向かいました。

マンチェスター空港へ降り立つと、友達が迎えにきてくれていました。これから4日ほど、友達の家にお世話になります。別にどこにいくわけでもなく、その友達の家でのんびりします。実はこの友達の家には何度かお世話になっております。変わったことといえば、娘さんが生まれていたことでした。

なんだかとても懐いてくれて、「アンコー(uncle)アンコー」と言ってまとわりついてきてくれます。実は先日、十数年ぶりにその子と日本で会ったのですが、私のことは何にも覚えていませんでした。

そうして、ヨーロッパを周遊して、日本に帰ってきました。その後、ヨーロッパを訪問することはなく、ずーっと日本に暮らすのです。

続く


以前のブログはこちら→https://tukuyomi.info/blog/

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