His Story 20

His story 20

ジュンク堂で契約社員として働き始めました。最初は大阪本店で2週間ほど研修勤務をしました。

1年のブランクはありましたが、皆さんにも親切にしていただき、研修期間を過ごしました。しかし、私はここで「人のルールで働けない」という、プライドから来るのか、捻くれた心から来るのかわからない自分を感じていました。

なかなか心を開けず、まぁ、どうせ2週間の研修だから…‥、と斜に構えた気持ちでした。

そして、開店を1ヶ月後に控えた難波店で働き始めました。

新難波店は今まで「難波店」と呼称していた店を「千日前店」と改め、大阪ミナミにおける旗艦店として、湊町地区に新しく建てられたマルイト難波ビルに作られた店でした。地下一階の200坪ほどをコミック専門店とし、3階の900坪ほどのフロアを一般書・雑誌をおき、平面店としたは関西最大級を誇っていました。後にコミックのフロアは隣のOCATビルへ移転し、千日前店が閉店する時に一般書と一緒に3Fフロアに集約されました。

まだ、本が入っていないフロアに棚だけがズラーっと並んでいる姿はとても壮観でした。どこが入り口になって、どこにレジを作るのか、どこになんの本が入るのかまったくわからないまま、トラックが次々とやってきて、総出で荷物をフロアに運びます。ジャンル(本の部門)毎に分かれた荷物を、だいたいの所定の場所に降ろして、とりあえずは開梱していきます。

ジュンク堂の各ジャンル責任者が考えた図面通りに本を並べていきます。ジュンク堂の各店から来た応援者がそれを手伝います。開店までに1ヶ月くらい時間があったので、徐々に棚を作り上げていくイメージでした。

私が任されるジャンルは語学・洋書です。ジュンク堂は各ジャンルの横のつながりがとても強く、仲が良いです。私もその一員に加えてもらいました。私一人ではできないので、メンバーを二人つけてもらい、三人体制でのスタートです。

そして、いよいよ開店の日。2009年7月22日を迎えました。難波店の店長は福嶋聡さん。本屋関係の著作を何冊も出版されている、業界では有名な方です。私はこの方の薫陶を享けて第二の書店員人生を始めます。

開店初日は、お客さんは業界関係者の方ばかりでした。開店を知らせる広告は地下鉄の広告だけで、最初は全然、認知されていませんでした。千日前店を呼称変更した前難波店と勘違いするお客様が続出し、その度に一から説明をしていました。

会社としては、呼称変更してでも、新しいお店を難波店とする、それくらいの意気込みのお店だったのです。

開店からしばらくの間、あまり認知されていない新難波店は本当にお客さんが少なく、毎日閑古鳥が鳴いていました。

私は、児童英語インストラクターの講座を受けていたこともあり、児童英語の棚は肝入りで充実させたいと思っていました。そこで、出版社さんと組んで、何度も児童英語のイベントを店内で実施して、お客様づくりをしました。不思議なもので、何度もイベントするうちに、児童英語の棚にお客様がつきはじめ、安定した売り上げを作ることができました。

お店全体としてもだんだん認知度が上がり始めて、徐々にお客さんが増えてくるようになりました。しかし、ジュンク堂のやり方になかなかついていけず、ごまかしたり、隠したり、などといい加減な仕事をしている自分もいました。何よりも、契約社員という立ち位置が自分の卑屈さと相まって、余計に仕事に力が入らないのですが、外から見ると「野坂さんのの作る棚はいつも整理されている印象があるなぁ」という自分の気持ちとは裏腹な言葉をいただくことがありました。

あの頃は、なんだかんだ言いながらも、棚に手をかけていたように思います。特に洋書の棚は、データ管理ができないので、昔ながらのスリップ管理をしていました。必備スリップも手作りして、ロングセラーは欠本しないようにしていました。

冒頭に人のルールで働けない、と言いましたが、それとは反対に人のルールに縛られる、という感覚もありました。縛られていることにも気が付かず、ただ、その方がめんどくさくないから、とりあえず周りに合わせる。でも、心の底では自分のやり方にこだわりたい、でもそのこだわりにも、良いとする根拠がないから自信もない、といった複雑な心境でした。

そして、危ないのが、慣れてくると契約社員の身の上でも、贅沢しなければ暮らせることを知ると、「これでいいか」と思うようになってくるのです。そして悪くなっていく状況に目を瞑って、自分にも無関心になって日々が流れていくのです。

つづく


以前のブログはこちら→https://tukuyomi.info/blog/

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