His Story 18
失業時代 2008年〜2009年
2008年7月31日をもって、私は17年間お世話になった旭屋書店を退職しました。
最後の日は、特に何かあるわけでもなくスタッフから花束を受け取り、バイトくんたちとご飯を食べに行きました。
辞めることを出版社の営業さんたちに知らせるとみんな「ええっ?」と驚かれ、中には放心状態になる人もいたのですが、粛々と最後の日は訪れました。
辞めた直後は、市役所に行って国民健康保険の加入手続きをしたり、失業保険を受け取るためにハローワークへ行ったりと、よくある退職者の手続きを済ませました。色をつけてもらった退職金とアメリカ勤務中に貯めたドル建ての貯金で当分は生活できそうでした。
今後のことを考えないといけなかったのですが、「もう本屋では働きたくない」と思って、旭屋書店が用意してくれた人材紹介センターへ登録し、とりあえずの転職活動が始まりました。しかし、本屋しかやったことがない私は履歴書に書くことが乏しく、自分が社会人時代になんのマネジメント力も、基本的なビジネススキルさえも身につけていないことに愕然としました。
そんな中、イベント会社への面接を人材紹介センターが取り付けてくれましたが、それもうまくいかず、心の折れやすい私は、転職活動にも身が入らなくなってしまいました。そんな日々が2ヶ月ほど続いたある日、ハローワークで見つけた職業訓練講座のチラシが目に入りました。
そのチラシには「児童英語インストラクター養成講座」と書いてありました。元々私は無類の子ども好きで、まだその頃はかろうじて英語が話せたし、何か次の仕事としてこれはいいのかも、と思いました。深く考えると一歩が踏み出せないので、でも少しの期待をもって申し込んでみました。
年内いっぱい、3ヶ月の講座で、児童英語インストラクターとしての基礎的な実践スキルを身につけます。しかし、そんなことよりも、自分にとっては新しい人間関係の広がりと、旭屋書店で疲れてしまった心身のとても良いリハビリになるとは想像していませんでした。
講座が始まると、さまざまな年代の、でも英語が好きな失業者が20人くらいだったかな、集まっていました。男性は私を入れて4人だけ。あとは女性でした。このクラスを束ねるE先生は最初に受講するにあたってのルールを何個か提示してくれました。どんなルールだったか忘れてしまっていますが、一つだけ覚えているのが”Love yourself”という言葉でした。
授業はほとんど、ひたすら模擬授業を作り、それを受講生が先生役と生徒役に分かれて行うものでしたが、これがすごく楽しい!E先生のクラスマネジメントも素晴らしく、また、生徒役の時には子どもになりきるので、みんな童心に帰ったかのようでした。
私もいろんな失敗を繰り返しながら、だんだんと授業構築のコツがわかってきて、とにかくみんながどうやったら楽しく英語フレーズを覚えるか?を一生懸命考えて模擬授業のプログラムを作り、小道具を準備しました。
楽しみながら準備して、楽しみながら模擬授業をしたら、その楽しさがクラスメイトにも伝わって、とても素敵な模擬授業を作れました。
こんな中、当時4歳くらいだった姪が家に遊びにきた時、赤・青・黄・緑・紫の5色を英単語を教えたら、短時間で習得してくれて、母親を驚かせました。
こんなにすごく楽しい思いをしていた中、世界は大変な状況に陥っていました。
リーマンショックが起こったのです。
続く
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