His Story 17

本店時代 2007年〜2008年

旭屋書店本店は地下鉄東梅田駅のすぐ近くにありました。旭屋書店の旗艦店であり8Fだて一棟丸々本屋さんでした。元々旭屋書店は大阪駅前にあったのですが、駅前再開発に協力する形で曽根崎の地に移転したのです。私が赴任した時でもかなり老朽化が進んでいました。昭和の古いビルを絵に描いたような建物でした。

私が知っている、いい時の旭屋書店本店は、きっと私が子どもの頃に通っていた頃だと思います。天文少年だった私は、今でも続く老舗天文雑誌『天文ガイド』を買いに行っていました。そのころは確か8Fが事務所、7Fに鉄道模型の専門店がありました。鉄道関連の書籍も多く、鉄道ファンたちからは絶大な信頼を得ていました。今でも旭屋書店なんばCITY店はその時の名残を引き継いで、鉄道ファンたちの需要に応えられる店になっています。何階だか忘れましたが、リーブルという名の喫茶店がありました。専門書の品揃えは大阪一と言われ、書店員のスキルも非常に高く、出版社さんが教えを請うていたほどでした。

私が、本店で担当したのは2Fのビジネス書。9名ほどのグループのリーダーでした。しかし、これだけの古い歴史のある本店だと古参のスタッフとの力関係がなかなか微妙で、距離を感じざるを得ませんでした。出版社の営業さんは私に話す人と、古参のスタッフに直接話す人とくっきり別れました。ビジネス書は日々の刊行点数も多く、目立つ棚は取り合いになるので、古参スタッフの意見を聞きながら調整(実際は許可取り)していました。

そのフロアでの正社員は私と、あと若い女の子が一人いました。この子が結構いろんなことを助けてくれて、古参のスタッフとの調整役もしてくれました。

この頃、社員のボーナスがカットされはじめました。最初にカットされることを通告された時、とうとう来たか、と思いました。受け止め方も人それぞれで、一時的なものだろうと思っていた人もいたと思います。しかし、以前のようなボーナス支給の体制に戻ることはありませんでした。

あるとき、今までいろんなお店の店長などを務めた人が、本店の警備員に配置されるという事がありました。数年前に「成果主義」を取り入れた会社が、結果を出せない人員を見せしめにこんな人事をしたのだと誰もが思いました。

この頃のことは、正直あんまり覚えていません。なんのモチベーションも湧かず、ただ入ってくる本を並べている感じでした。書類にハンコを押して、ハンコをもらいに行って、問い合わせに一生懸命答えて、自分が自由にできる範囲で版元さんと相談してフェアをやって、遅番メインにシフトに入って(遅番だと朝に本を出す時に古参スタッフの顔色を窺わなくてもいいため)そんな毎日を送っているうちに、もう本屋で働きたくないな、と思い始めていました。

本店に異動して半年が過ぎた頃、旭屋書店が大規模な希望退職を募りはじめました。応募しようかな、なんて思っていたら本部事務所から電話がかかってきて、「話があるから、明日本部事務所に来てください」とのことでした。

ああ、来たか……。と思いました。

家に帰って、両親に「多分、肩たたきだと思う」ということを告げて、「残るも地獄、去るも地獄だけど、好条件で辞めさせてくれるので辞めようと思う」と言いました。

私は、店長職を放って休職したこと、独り者だったことが相まって、肩たたきにあったのだと思います。本当の理由はそうでないにしても、それらのことが自分を卑屈にさせていたのは確かです。翌日、本部事務所で希望退職制度に応じてほしいと言われ、素直に受諾しました。そしてその場で退職届を提出しました。私は37歳でした。

続く


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