His Story 15

再び、京都店時代。

自己卑下の妄想に疲れ果ててしまった私は、上司にお願いして店長職を解いてもらいました。そして京都店へ戻ってきたのです。予算も対前年比も達成していたし、側からみると「なんで?」って感じかもしれません。

自分で自分に敗者の烙印を勝手に押して、帰ってきた京都店では、これまた勝手に店長職を全うできなかった負い目を背負って、力無く勤務していました。スタッフまで自分に冷たい目を向けているのではないかと疑心暗鬼になったりしました。私は外面がいいので、表面的には普通でしたが、心の中は暗いもので占められていました。私が戻った半年後に京都店は閉店することが決まっていました。建物が老朽化したため、取り壊すとのことです。

私は、閉店に立ち会うのは初めてでした。

日毎にどんどん棚から本が減っていき、空間が目立ちます。お客さんや取引先さんに閉店のご案内をして、新たな注文は取れません。閉店へ向けての準備は、なかなかオープンのそれとは違って、前向きな気分になることはありません。「閉めるにも閉め方がある」という言葉も、この時の自分には空虚なもにしか思えませんでした。

閉店当日、たくさんのお客様がやってきました。古い歴史のある百貨店だったので閉まることがとても残念そうでした。中には涙を浮かべてらっしゃる方もいます。旭屋書店がなくなることも寂しいと言ってくれるお客様もいます。

京都店はとてもいいお店でした。大型店だったのでお客様の要望に応えやすかったし、文化発信の拠点としては「京都」の玄関口にあるというのは申し分のない立地でした。

でも閉めた後は、ちょっと休みたい….と思っていました。休むことしか考えていませんでした。そして閉店直後、後片付けをお任せして、私は休職しました。

休職中、何をしていたのか全く覚えていません。ただただ必要以上に悲観してしまい、私は愚かにも友人関係を全て断ちました。心配して連絡をくれても全く返事をせず、もう放っておいてくれとばかりに自分の固い殻に閉じこもりました。この時に切ってしまった友人関係で、いまだに修復する勇気が出なくてそのままになっている人もいます。

何か大きなショックを受けて、そうなる人はたくさんいますが、私の場合は必要以上に自分で自分を攻撃して、そこから抜け出るアクションを全て放棄した感じでした。

こうして、3ヶ月を過ごして、良くなったのかどうかわからないまま、仕事に復帰しました。復帰先は本部事務所でした。

続く


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