His Story 14

桃山店時代 part2(2005〜2006)

なのに……。

全く自信が持てず、売り上げが落ちたらどうしよう……。と数字に一喜一憂。ご飯は食べられなくなり、眠れない日々が続く…。

そして、この桃山店。とても大変なところだったのです。

いや、自分の何事にも自信がなく、必要以上に恐れる心がそう見せていたのかもしれません。

実は、この桃山店のある周辺地域は痛みを抱えた地域だったのです。(今はどうか知りませんが)

ほぼほぼ毎日にように万引きをする少年少女たちがやってきます。少年少女に限らず、大人までも万引きをしにお店にやってきます。

怪しい人を見かけたら、すぐさまレジ応援のベルが2回なります。そうすると事務所や作業所にいるスタッフは全員店に出て防犯体制を取ります。

見張っていると逆に威嚇され、怒鳴り、時には詰め寄られ、理不尽な謝罪を要求されることもあります。

毎日、「今日も万引きが来るのかなぁ」と重い気持ちで出勤していました。必要以上に店長としての重圧を感じて、何をどうしたらいいのかわからない。棚づくりもいい加減なものになってきて、それが普通になってしまいました。

そんな時、ある出版社の店舗催事時の美術装飾をされているAさんと出会いました。Aさんは還暦を迎えようとしていた彫刻家で、奥様と共に鳥を題材とした作品を数多く作られていました。

よくよく話を聞くと、私が住んでいる市域にお住まいで、アトリエも市内にあるとのこと、早速遊びに行くと、多くの木彫りの鳥が所狭しとおいてあります。どれも可愛らしく、自由で、おおらかです。

動けない樹木に翼を与えて、自由を表現する……。Aさんが作品作りで大切にしていたことでした。

いつしか、私の抱えている悩みを相談するようになりました。Aさんは、いろんな角度からアドバイスをくれました。

Aさんはご自分の先生の本を伝えるために、ご自分の力を全力で注いでおられました。

その本を、桃山店でも販売することになり、お店にきてくださいました。その時に、荒れている本棚を見て「汚い!反吐が出る!」とすごく怒られました。

Aさんの仕事はとても丁寧で、平台を装飾する時も、必ず、細かく下絵を描きます。私たち本屋の人間は、平台を作る時やフェア棚に本を並べる時、そこまでやりません。Aさんはご自分の先生の本を一人でも多くの人に手に取っていただきたいと願い、そこまでされるのです。

Aさんと出会ってひと月ほどして、ふと気になって電話をしてみました。また、アトリエに遊びに行きたくなったのかもしれません。しかし、電話に出たAさんから衝撃の事実を伝えられました。

「実はな、膵臓癌で入院してるねん……」

私はびっくりしてしまい、すぐに次の休みの時にお見舞いに行きました。

病室に入る前に奥様に呼び止められて、経過をお聞きしました。この事は家族以外には秘密にしていたらしいのですが、なぜ、会って間もない私にAさんが話してくれたのかわかりませんでした。

病室でAさんと会って、何を話したのか覚えていません。でも、その後、私は仕事の休みの度にお見舞いに行きました。ある時、「風の谷のナウシカ」の話になって、漫画版の存在をご存知なかったので持って行ってあげると、とても喜んで読んでくださいました。ご自分の先生の姿をナウシカに重ねられたようです。

またある時は、曇り空を窓越しにベットからじっと眺められていました。私はどんな言葉もかけることができず、一緒に曇り空を眺めました。また、痛みで辛い時に、私の手を取って「お互いに課題を持った者同士頑張ろう!」と励ましてくださりました。

そんな時間をどれくらい重ねたのでしょうか。ある日、Aさんが亡くなられたと連絡が入りました。

お葬式が終わった後、奥様がAさんの何か思い出の品をくださると、おっしゃってくださいました。私がお願いしたのは作品ではなく、平台の装飾をデザインした例の下絵のファイルでした。Aさんは今まで手がけた書店の平台の装飾の下絵を綺麗にファイリングされていたのです。

一冊の本をどんな想いで届けるのか……。今、そのファイルを見てみると、そんなAさんの問いかけが聞こえてきそうです。今でも棚が汚いと、「Aさんに怒られそう……」って思ってしまいます。

会いたいなぁ、と思ってもそれはもう叶いません。

たぶん、どこかできっと見守ってくださっていると思います。

続く


以前のブログはこちら→https://tukuyomi.info/blog/

お問い合わせ