His Story 19
失業時代part2
リーマンショックは、これからどこかに職を得ようとする人にとっては、厳しいニュースでした。履歴書100通送っても返事すらほとんどない、とか雇い止め、派遣切り、などの言葉が、このころから聞こえ始めたように思います。世の中全体が重い空気に包まれていました。
ただ、履歴書100通送っても色よい返事がもらえない、というのは割と転職者あるあるなことを、今から考えればよくわかります。別にリーマンショックに限った話ではなのです。リーマンショックに乗じて、世の中の不安を象徴する言葉として選ばれて、一人歩きをしていったように思えます。
私もそんな言葉に乗せられた一人でした。「どうせリーマンショックで世の中厳しいから……。」と数通の面接まで届かない通知で、いとも簡単にあきらめモードに入ってしまいました。
児童英語インスタラクター講座は3ヶ月の講習期間を終えました。最後はみんな涙涙で、お別れでした。でも、その中の数人とはずーっとご縁が続いていくのです。そして2009年に入るのでした。
就職活動はするものの、なかなか面接まで届かず、「リーマンショックのせい」「自分が高卒のせい」「履歴書に書けることが少ない」「アメリカ生活があってもなんの足しにもならない」「中途半端な英語力」などなど、いいわけばっかり並べて、具体的に前へ進むこともできない状態でした。
でも、それ以上に自分がどうしたいのか、何を仕事として生きていきたいのか、が明確に定まらず自分の未来に全くビジョンが描けていませんでした。でもこの問いはこの先もずっとついてまわるのです。
そんな中、ふと訪れたジュンク堂書店の語学書売り場を見て、また、本屋で働きたいな、できれば語学書やりたいなぁ、などと思いました。あれほど、もう本屋で働くのは嫌だったのに……。
いよいよ失業保険も切れようとしていました。気がつけば旭屋書店を辞めて1年になろうとしていたのです。気持ちが焦ってきた私は、以前お世話になっていた出版社営業のSさんが「何か困ったら連絡してこい」と言ってくれていたのを思い出し、メールをしてみました。
Sさんはすぐに返事をくれて、履歴書を送るように言われました。ご自分のつてで何軒かの書店さんにあたってくれましたが、なかなか良い返事がもらえませんでした。
しかしジュンク堂書店が難波に新しいお店を出すことになってスタッフを募集している、との情報をくださり、応募することにしました。Sさんが直接新店長に履歴書を持っていってくれました。丁度、語学書・洋書を担当できる人を探していたらしく、採用されることになりました。
契約社員からのスタートですが、正社員登用の道もあるとのことだったので、ここでがんばってみることにしたのです。
また書店員としてのキャリアが始まりました。
続く
以前のブログはこちら→https://tukuyomi.info/blog/