His Story 11

ロサンゼルス店時代 1999-2002 part5

日本への帰国指示が出たとき、帰りたくなかった私はかなり駄々をこねましたが、落ち続けていた売り上げは、米国同時多発テロの影響でさらに加速してしまい。私にかかる人件費を払えない状況であることを考えると、帰国せざるをえませんでした。

帰国指示がでる前、まだテロでアメリカが混乱していた2002年の年明け、高校からの友人Kが正月休みを利用して遊びに来てくれました。

彼はLAに遊びに来てくれるのは2回目でした。そして今回は4日ほどかけて、ドライブ旅行をしました。

ロサンゼルスに在住中はいろんなところに行きましが、この旅はアメリカの雄大さを感じる素晴らしい旅行でした。

大晦日は友人の家で、カウントダウンをして、少し仮眠して早朝暗いうちから出発しました。日が登ってからの出発でもよかったのですが、興奮して眠れず、早く出発しました。

砂漠の中で初日の出を拝んで、最初向かったのは通称バークレー隕石孔です。

世界には隕石のクレーター跡はたくさんありますが、ここは完全な形で残っている数少ない隕石孔です。ここまで来るのでも6時間以上かかっていましたが、ここからさらにグランドキャニオンを目指しました。

日暮時にグランドキャニオンに到着しました。紫色の空に、雪に覆われたグランドキャニオンがオレンジ色に輝き、運転疲れも吹き飛ぶような美しさでした。

Kは結構なイケメンなのですが、アメリカ人の女の子たちが声をかけてきてくれました。でも、そういうことにあまり慣れていない私たちは、旅を楽しく過ごすためのチャンスを一つ逃してしまいました。

一晩をグランドキャニオンにで過ごして、次はレイクパウエルに向かいました。アメリカでも最大級の人造湖なのです。なんでもバス釣りが大好きなKは、そこに有名なルアーの会社があるといいます。その会社には行かなかったのですが、雄大なダムを眺めました。そこでビデオカメラを置き忘れるという事態に遭遇するのですが、夜中にダムに戻ってみると管理人さんが預かってくれていました。

レイクパウエルで観光船に乗って、3時間かけてレインボーブリッジへ行きました。ネイティブアメリカンの伝承では、虹が岩に変身したそうです。

そして、アンテロープキャニオンへ行きました。ここは、ネイティブアメリカンの聖地なので、立ち入りは基本制限されていて、ガイドなしでは行けません。ガイドを前もって予約しておいて、ガイドのおじさんに案内してもらいました。私たち以外は誰もおらず、自然が作る幻想的な景色を堪能しました。

あとは延々とドライブをしていたのですが、途中、何度も絶景が現れて、その度に車を止めて景色を眺めていました。喫煙者のKはその景色を眺めて紫煙を燻らすのが最高の時のようでした。

最後の目的地はラスベガスです。私はロサンゼルスに住んでいる間、何度もラスベガスへ行っていました。LAからは車で6時間ほどです。いつも友達と「今からベガス行こうか」と、気軽に行ってました。宿も空いているところを適当に取って、好きにめいめい、カジノで夜通し遊んでいました。

LAに帰ってきた夜は、いつも行っているお寿司屋さんに行きました。カリフォルニアは、新鮮な魚介類がたくさん取れるので美味しいお寿司が食べれます。日本のものと遜色ありません。また、グランドキャニオン行きたいね、などと話していました。

思い出深いロサンゼルスを後にしたのはその年の7月末。「絶対戻ってくる!」と飛行機の窓から離れていくロサンゼルスの景色を見ながら誓ったのですが、あれから20数年、それが叶えられることは今のところありません。

関西空港に降り立った途端、ものすごい熱気と湿気に襲われました。「ああ、これが日本の暑さだ」と思い出しました。ゲートを出ると、Kが迎えにきてくれていました。

今でも時々思い出します。私の住んでいた家はどうなっているのかなぁ、朝ごはんを食べに行ったハンバーガー屋さんはまだあるのかなぁ、カラッとした空気の匂いと冷房のいらない夏。ロサンゼルスに帰った夢を見ては、目覚めてちょっとがっかりする朝。

私にとっては第2の故郷のロサンゼルス。生きているうちにもう一度行きたいと願っています。

続く


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